Googleに操られるな――『操られる民主主義』 ジェイミー・バートレット

書評

この本は近年のテクノロジーの進歩がどのように我々の社会に(主に悪い)影響を与えているかを考察します。
AI・SNS・仮想通貨といった、今「ホット」なワードもたくさん出てくるんですが、技術それ自体は著者の興味の中心ではありません。

読んだ感想として、この本はネットリテラシーを高める上で必読だと思いました。
「ネットリテラシー」っていうと「ネットを使ってバリバリ仕事をする」とかそういうイメージかもしれませんが、これからの時代は違います。

「ネットに対する自衛策」は今や「一般教養」として必須です。
シリコンバレーのIT系大企業はあくまで営利企業であって、私たちに「無料」でサービスを提供してくれているわけではありません。
TwitterもGoogleも、「無料」でサービスを使わせてくれるのにはワケがあります。

内容をすべて紹介するわけにはいかないので、個人的におもしろかったところを挙げていきますね。

私は英語の原著を読んだので引用などは全て英語です。
読めるなら原著の方が1000円以上安いのでお得です。

Dataism

Social media platforms are the latest iteration of the behaviourist desire to manage society through scientific observation of the mind, via a complete information loop: testing products on people, getting feedback and redesigning the model.

Jamie Bartlett
The People Vs Tech: How the Internet Is Killing Democracy (and How We Save It) (p. 14)

要するに、SNSというのは「行動主義」の実験の場だということですね。
Wikipediaによると、「行動主義」というのは「自由意志は錯覚であり、行動は遺伝と環境の両因子の組み合わせによって決定されていく」というのが基本らしいです。
つまり、「特定の種類の人には特定の環境を与えてやれば操れる」ということでしょう。

例えばTwitterですが、最近は広告が増えてきて鬱陶しがっている人が多いですね。
しかしTwitterの実態はそもそも広告業なんですよ。
できるだけ多くの人を「無料」のサービスに長時間張り付かせて、広告をたくさんクリックさせることが彼らの仕事なんです。

TwitterのCEOも”Our business is an advertising business, we don’t sell technology.”とこの記事で語っています。

サピエンス全史で有名なYuval Noah Harariの言葉を借りると、こういった「人を単なるデータとしてあつかう」やり方はDataismと呼ばれます。この本で採り上げられている問題のほとんどはDataismが下敷きになっています。

有名な例では、2016年のアメリカ大統領選挙で、トランプ陣営はFacebookを「上手く」利用して選挙に勝利しましたね。
彼らはFacebookユーザの年齢・出身地・階層・投稿やいいねの内容を徹底的に分析し、その「層」に効果的に訴えかける広告を「カスタマイズ」して流していました。
詳しくはぜひ本を手にとって読んでいただきたいんですが、やり口はかなりえげつないです。

部族社会の再来

We are living, as McLuhan predicted, through a great re-tribalisation of politics.

Jamie Bartlett (p. 43)

テクノロジーで「自由と平等」を促進されたはずの私たちが部族社会に逆戻りというのが皮肉ですね。

確かに多くの人々はネットにアクセスして自由に繋がれるようになりましたが、それは「個の集まり」とは少し違うようです。
Twitterで「クラスタ」という言葉がよく使われるように、私たちは「特定のああいう人たち」を形成してしまう傾向があります。

一昔前までは「金持ち・貧乏」「保守・リベラル」「黒人・白人」のように、かなり大きく緩い枠組みがメインでした。
与えられる教育や情報もそれに基づいたものです。
この環境は、実生活と結びついているので抜け出そうにも抜け出せません。

しかしネット上では、自分の気に入る記事だけ読んでいれば、GoogleやFacebookのアルゴリズムが勝手に似たような記事をオススメしてくれます。
Twitterでフォローする人たちは自分で選べますし、少しでも自分の気に障ることを言う人はリムーブすればいいです。

この結果、私たちの周りには「自分みたいな」人たちばかりが集まり、自分たちの意見を「当然・常識」とみなしはじめます。
周囲から自分と同じ意見ばかり返ってくるという意味で、これをEcho Chamber(残響室)効果というみたいですね。
こうしたできたクラスタ(房)を著者は部族と呼んでいます。

確かにインターネットの出現によって、いままで手に入らなかった情報を得ることができるようになりました。
しかし、制御できないほどのデータの海で、私たちは溺れそうになっています。

The point is that every individual now has a truckload of reasons to feel legitimately aggrieved, outraged, oppressed or threatened, even if their own life is going just fine. For some people, being generally decent, this produces a powerful sense of belonging and solidarity with a group they never even thought about until they kept reading how oppressed they were.

Jamie Bartlett (pp. 48-49)

私たちは誰でも、すぐに何かしらの不満の種をネット上で見つけてくることができます。
人種差別を受けている人たちは言わずもがな、マジョリティも今や「逆差別」を受ける時代です。
言い換えれば、みんなが被害者意識に満ち溢れた社会という感じです。

日本でいえば、典型的な「層」はネット右翼ですね。
彼らについては以前、西部邁さんの『保守思想のための39章』の書評の中で採り上げました。

まとめ

Dataismにせよ部族社会にせよ、問題は「人々のつながり方が健全じゃない」ということだと思います。
SNSはあくまで商業活動の場でしかなく、民主主義を担ういわば「市民」の育成には全く向いていません。

ネット上では、人々は「angry Twitter mob」や上司、データ収集業者を恐れて自主規制を働かせてしまうと著者は指摘します。

This is damaging to the citizen’s ability to exercise moral judgement in their lives. Developing the faculties to think for oneself requires that people say controversial things, make mistakes and learn from them.

Jamie Bartlett (p. 28)

Twitterなんかを見ていても、ああいったインスタントなコミュニティでまともな議論ができないことは明白ですよね。
若気の至りで炎上・住所特定で大量の嫌がらせを受けるなんて、まともな社会じゃないです。

冒頭でも述べたように、現代のネットリテラシーは基本的に「自衛策」だと思います。

ITを使いこなそうと思わなくていいので、

・自分をIT企業の「美味いエサ」にしないこと
・ネットの向こうにいる生身の人間の存在を意識すること

だけ徹底的に気をつけるべきだと思います。

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